いまや貴重な絶版本 |
子供の頃鍵っ子で、テレビゲームなどまだこの世に登場していなかったこともあって、本の虫だった。何でもかんでも、手近にある本を読み漁ってた。漫画も読んだけれど、特に興味を持って読んでいたのは百科事典だった。妻にそんな昔話をすると、「やっぱり変わった人」と言われるけれど、当時の子供は(百科事典はともかく)本好きが多かった。
年齢とともに本好きにも嗜好の変化が現れるもので、冒険小説ばかり読んだ時期もあれば、哲学書や宗教書を読んだ時期もある。音楽評論を読みふけった時期もあるし、スパイ小説を次から次へと渡り歩いた時期もある。もちろん古事記や論語といったものにも手を出したし、泉鏡花や川端康成に熱を上げた時期もある。
最近はもっぱら推理小説を読んでいるが、ちょっとした頭の体操になるから、ボケ防止にも役立つかもしれない。推理小説といえば、江戸川乱歩を読みふけったあとにエドガー・アラン・ポーの存在を知り、そこからアガサ・クリスティーへと手を広げた時期があった。
ところが何故かコナン・ドイルが生み出したシャーロック・ホームズにはとんと興味が生まれなかった・モーリス・ル・ブランが生み出したアルセーヌ・ルパンは数冊読んだにもかからずだ…。そんな偏向趣味だったにもかかわらず、我が家には講談社が出版した「シャーロック・ホームズ大全」という本の第2刷がある。昭和61年10月15日の版だから、大学の頃に買い求めたのだろうが、長年に渡って読まれることもないまま書棚に置かれているだけだった。引っ越しのたびに山のような書籍を捨ててきたが、この本は捨てられることなく私とともに引っ越しを繰り返してきたわけだ。
数日前にふとしたことからホームズを読んでみようかという気になった。本棚から持ち出して、埃っぽいページを少しだけめくると、子供の頃に感じた読みにくさは全く感じない。むしろ最近の評論じみた文体の推理小説よりも遥かに読みやすい。
気になってネットで調べてみると、いまホームズを全作揃えるのはなかなか難しいようだ。時代のなせる業か、欠版となっているものが多いらしい。埃っぽいとはいえ、「シャーロック・ホームズ大全」を捨てずに残しておいたのは幸運だった。
書籍は見つけたときに購入しておかないと絶版となってしまうことが多い。とくに今時の書籍離れ時代にあって、売れない作家の本はあっという間に絶版だ。そのため、我が家には「今買っておかねば読めなくなる」という思いから買い求めたまま読んでいない書籍が多い。
子供の頃のように、本だけ読んで1日過ごすというような贅沢な時間の使い方はできないから、1冊読破するにも2~3ヶ月かかってしまう。購入ペースが読破ペースを上回るから、どんどん「いつか読む本」として増殖してしまっている。その中から気分に任せて読むわけだが、いま読んでいるものが終われば次に読みたい本、その次に読みたい本が決まっている。
「シャーロック・ホームズ大全」に順番が回ってくるのはいつだろうか…